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歩く

八丁堀さんぽ その1

八丁堀

八丁堀は近年、桜川と呼ばれ、京橋川(昭和34年(1959)埋立て)・楓川(昭和40年(1960)埋立て)合流点から亀島川合流点まで公的延長740mの河川(堀川)であった。 「町名や地域名の八丁堀」はこの堀川名に由来する。
その起源は、慶長17年(1612)ごろ、江戸湊の船着場築造のため三十間堀、八丁堀川などが開削されたと思われる(中央区年表)。 江戸城への物資搬入や防衛上の観点から堀を築く。長さが「八丁」(1間=6尺=約1.82m。1町(丁)=60間=1.82m×60=約109.2m、よって1町109.2m×8町(丁)=約873.6m。(*京間なら1間が曲(カネ)尺で6.5尺(=約1.97m) なので1町=約118.2m、8町=約945.6m))ほどだから、この堀割りに「八丁堀」と命名されたというのが通説である。

「八丁堀」か「八町堀」か

武州豊嶋郡江戸庄図
武州豊嶋郡江戸庄図
  • 現在は「八丁堀」と表記しているが、江戸期には「八町堀」の表記がある。距離の単位としては本来「町(ちょう)」の字があてられ、「丁」は「町の略字」であることから、「町」が使われていたのであろう。
  • 古くは寛永9年(1632)作・寛政2年(1790)写しと伝わる「武州豊嶋郡江戸庄図」には、地名は「八丁堀」、堀名は「八町堀舟入」と区別して記載されている。
  • 中央下部に八丁堀の形が見える。
  • このころは寺町だった。八丁堀舟入(運河)はできて、楓川西部には櫛状に船着場(河岸)があるのが分る。霊岸島は造成中であろうか、 現在より小さい。湊、築地などの南部はまだ埋め立てられていない。

八丁堀(桜川)跡

桜川公園内の案内板
桜川公園内の案内板
  • 地域名としての八丁堀は、堀を境に北側の一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と称し、広範囲にわたっていた。
  • 通船堀としての八丁堀は、明治になって「桜川」と改称され、関東大震災後の復興事業を経て〔京橋川から河口に向かって〕新桜橋・桜橋・中ノ橋・八丁堀橋・稲荷橋が架けられた。
  • 昭和35年〔1960〕から昭和41年〔1971〕頃には、中ノ橋から稲荷橋までを残して桜川の上流が埋め立てられ、その後、桜川は完全に埋め立てられた。 埋立地の一部は、桜川公園として整備され、この辺りに堀割があったことをしのばせている。