「八丁堀」か「八町堀」か
- 現在は「八丁堀」と表記しているが、江戸期には「八町堀」の表記がある。距離の単位としては本来「町(ちょう)」の字があてられ、「丁」は「町の略字」であることから、「町」が使われていたのであろう。
- 古くは寛永9年(1632)作・寛政2年(1790)写しと伝わる「武州豊嶋郡江戸庄図」には、地名は「八丁堀」、堀名は「八町堀舟入」と区別して記載されている。
- 中央下部に八丁堀の形が見える。
- このころは寺町だった。八丁堀舟入(運河)はできて、楓川西部には櫛状に船着場(河岸)があるのが分る。霊岸島は造成中であろうか、 現在より小さい。湊、築地などの南部はまだ埋め立てられていない。