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八丁堀さんぽ その5

江戸港発祥の地

江戸港発祥の地碑
  • 亀島川にかかる南高橋のリバー通り沿いに、隅田川テラスがある。そこを上がったところの植え込みの中に、金色のイカリの記念碑が建っている。ここは亀島川が隅田川と合流する地点。
  • 江戸時代にはここが隅田川の河口であり、そこに江戸湊が開かれた。この辺りはかつて霊岸島の「将監河岸」と呼ばれ対岸は「鉄砲洲」で、船の出入りの非常に多い場所だった。 昭和初期には東京湾汽船(東海汽船の前身)が伊豆諸島や房総半島との間に航路を開き、この地を拠点に定期運航した。
  • この地点から100m南東に、「霊岸島検潮所」がある。明治6年に現在の位置から36m上流側に作られた東京湾の水面の高さを計測する施設で、ここのデータを基に海抜0mが決められ、 日本地図に反映された。現在も観測が行われている。

自動電話交換発祥之地

自動電話交換開始記念碑
  • 「銀座ラフィナート」というホテルがあり、入口の壁面に大きな彫刻パネルが張り付けられているのが「自動電話交換発祥之地」の碑である。
  • ここはかつて京橋電話局だった場所で、電話局の廃止によりNTTグループのホテル (京橋会館)として開業し、2002年に現在の銀座ラフィナート という名称に変わった。
  • 我が国における自動電話交換方式の発祥は大正15年1月20日、 旧京橋電話局の交換業務開始による。自動電話交換開始50年に当り京橋電話局跡であるこの地に、 記念碑を造り昭和50年1月20日除幕した。
  • 記念碑は、一見するとオブジェの彫刻に見えるが、近づいて見ると銘板が添えられており、当時の自動電話交換機の回路図の一部を図案化したものとある(碑文より)。

靴業発祥の地跡

靴業発祥の地 碑
  • 日本で西洋式の靴が履かれるようになったのは、江戸時代末期 ないし 明治の初めのころに始まるが、その多くは 軍靴であった。 また 築地の明石町一帯は 明治初期には外国人居留地に指定され、多くの外国人が居住することになり 靴の需要が多くなった。
  • 1870(明治3)年、居留地に隣接する 入船町に、日本で初めて靴の工場ができ 国内で靴の製造が始まった。 なお 現在「靴の記念日」となっている3月15日は、この靴工場が 創業を開始した日といわれる。
  • 創建者の西村勝三は、佐倉藩の開明進取の風土に育ち 時の兵部大輔 大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫 並びに渋澤栄一の支援を得て靴工業を創成し、これを大成した。 斯くてこの地は 日本に於ける製靴産業の原点であるのでこゝに建碑事績を記す。
  • 昭和60年(1985)3月15日 日本靴連盟