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八丁堀さんぽ その2

八丁堀の七不思議

女湯に刀掛けがある
  •  第一 奥様あって殿様なし
  •  第二 女湯に刀掛けがある※
  •  第三 ドブ湯
  •  第四 鬼の住居に幽霊が出る
  •  第五 地蔵の像なくして地蔵橋がある
  •  第六 百文あれば一日快楽のできる土地
  •  第七 一文なしで世帯が持てる土地
  • ※与力や同心は女湯の朝湯を留湯(貸し切り状態)にして入り、隣りの男湯から聞こえる話に耳を傾け情報収集を行なった。 「日髪日剃(ひがみひぞり)と女湯入りは与力・同心の特権」。日髪日剃とは、毎日髪結床が出前で結髪し、月代を綺麗に剃ってくれること。 初期の湯屋は湯女風呂といい、客の背中を流す湯女が遊女のように色も売った。当時の江戸社会は圧倒的に男性社会のためこの湯女風呂は大人気になり、 一時は吉原のライバルにもなったという。

八丁堀の与力・同心組屋敷跡

中央区の「京華(きょうか)スクエア」の入り口に設置。
  • 江戸初期に埋め立てられた八丁堀の地は、はじめは寺町であった。寛永12年(1635年)に江戸城下の拡張計画が行われ、玉円寺だけを残して多くの寺は郊外に移転し、 そこに与力・同心組屋敷の町が成立した。その範囲は茅場町から八丁堀一帯に集中している。八丁堀といえば捕物帖で有名な「八丁堀の旦那」と呼ばれた、 江戸町奉行配下の与力・同心の町だった。
  • 与力は徳川家の直臣で、同心はその配下の侍衆である。着流に羽織姿で懐手(ふところで)、帯に差した十手の朱房もいきな庶民の 味方として人々の信頼を得ていた。初期には江戸町奉行板倉勝重の配下として与力10人、同心50人から始まってのち、南北両町奉行が成立すると与力50人、同心280人と増加し、 両町奉行所に分かれて勤務していた。
  • 与力は知行200石、屋敷は300~500坪、同心は30俵2人扶持(ぶち)で、100坪ほどの屋敷地であった。これらの与力・同心たちが江戸の 治安に活躍したが、生活費を得るため町民に屋敷地を貸す者も多く、与力で歌人の加藤枝直・千蔭父子や医者で歌人の井上文雄などの文化人や学者を輩出した町としても知られている。
  • 平成13年(2001年)3月 中央区教育委員会

江戸時代の警察制度

時代劇小説の舞台にも
  • 時代小説にも度々出てくる八丁堀。 鳥羽亮の『八丁堀剣客同心』シリーズをはじめ、 牧秀彦の『八丁堀裏十手』シリーズ、平岩弓枝の『八丁堀の湯屋』、 そして池波正太郎の『鬼平犯科帳』などの舞台としても有名。
  • なんでも、休日になると古地図を片手に街を巡る人もいるのだとか。
  • 武家地,寺社地を除いた江戸市中の行政,司法,警察,消防などをつかさどり、現在で言えば都庁の役割を果していた。北町奉行所・南町奉行所の2つが1ヶ月交代で分担する。
  • その長官である町奉行としては、大岡越前守忠相,遠山金四郎景元,根岸肥前守鎮衛などが有名人である。 寺社奉行,勘定奉行と並んで三奉行と呼ばれた。両町奉行配下には与力50騎,同心200人(のち280人)が属し職務を分担した。